一般社団法人ドアレスアートオキナワ
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#アートに垣根はない

ドアレスアーティストによる垣根のないブログ
ブログ文章はアーティスト本人からの声と想いです。

#5

1/30/2026

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私は、祖父母の事を思い出す。
それは、私が小学校5年生の時、母が事情があって親戚を頼って神奈川県へ行ったからだ。

私は、おばあちゃん子だったので、祖母が火の神に手を合わせる姿を見て育った。でも、残念な事に私が、中学2年生の時に祖母は、末期の胃がんだと分かった。私は、外科医を志そうかと悩んだのですが、医者では100%人を守れないと思いました。

しかし、画家なら絵に仏や神が宿れば、人を守れると思いました。

小学生の頃の私は、どちらかというと身の回りのことは、自分できちんとやらなければいけないという道徳観念は、ちゃんと持っていました。
少年野球では、ピッチャーをやったり、運動もできる方でしたが、自分の回りの友達を見てみると、私の考えなのですが、人は過去をどう生きたかで、人生が決定することに、気づいていないようで、どんどん人を思いやる生き方に考え方が、傾いていきました。

もう少し自分に、優しい態度を持てればよかったのですが、友人をかばおうとまるで自分が、悪者のように、神奈川県の母の住んでいるところの、中学校に中学校2年生の時、転校しました。神奈川県にいる母の、ところへ行くことを父に勧められたのです。兄さんの、話では祖母は、15分おきに痛み止めの、注射を受けていたそうです。

私は、正直言って中学校の勉強なんて、どうでもよかったです。
祖父母のそばにいたかったです。

神奈川県の中学校を卒業して、担任の先生に陶芸家の先生を、紹介していただき少しお世話になりました。高校の方は、最初神奈川県の定時制に、入学して通信制へ編入して卒業しました。
昼間は、アルバイトをやったりして電車代や、昼食代やお小遣いとしていました。私は、相変わらず画家へのみちをあきらめきれず、東京の上野の国立西洋美術館には、よく出かけました。

御覧の通りで、学問的な勉強より自分の思いやインスピレーションや感性のみを頼りに、人を守る絵、人を守る絵とそればかり考える日々でした。

沖縄の人でしたら、この人は、生まれ高いとか、沖縄からはあまり離れて暮らさない方がいい方が、いらっしゃるのをお聞きになられたことが、あると思いますが私は、まるで神様に追われるように、21歳のころ沖縄に帰ってきました。その頃は、もう思ったことが目の前で現象として現れ、私の心をとらえて離しませんでした。

私は、これだけ自分の思ったことが、重なるなら飛び込んでみようと、回りの現象にどんどん流されました。
すると、残念なことに現実を見失うんですよね。

心が、自分をだんだんと高く評価してしまうのですよね。
何故、思ったことが重なるかわからないから、当たり前の事ですよね。

私は、手旗信号をするだけで、芸能人の方と連絡できると錯覚しました。
一番がっかりさせられるのは、この世の中が平和でテレビに出演する方と、結婚することが約束されていると、信じ込んでしまうほど、世の中が平和だと信じて疑わなかったことです。

私は、このような症状を何度か繰り返しました。30代からは、父や母の介護をして20年あまり続けました。


絵は、私にとって生きがいです。

そして、私がどれだけ大切に守られてきたかを考えずには、いられない。

確かに、20代は何度も私は、スタートラインを振り払われました。しかし、冷静に考えれば、多くの人と環境の思いが一つになって、時が流れている場合がある。

もちろん、それが学問的には、どういう意味なのか分からない。
大人は、仕事場では同じ心をもって、本当にたかがそれだけの事と思われることに、命がけで生きていると思い知らされる。だから、人の意を迎えることを考えさせられる。

まさに、私が、学んだ絵を描くときの姿勢だ。だから、私は思うのだが、若いときはいろいろ考えすぎる傾向が、あるように思う。私の場合だが、一歩とびの欲は持たない傾いている。
今、現時点で私は、何も描いていないキャンバスに、二筆、三筆と色を置いただけの影響を敏感に感じ取り絵の完成を思っている。

それは、会員のみなさんも、ご存じの通り色は、単独では存在しないからです。
画面に、本当に問い求める思いが、強いと自然と形が、私の場合姿をキャンバスに表してくれる。


何度も話しますが、絵は、私の場合枚数を一枚でも多く描かないと、いい作品は出来上がらなかった。


あと、もう一つは、心を開放することだった。


これも、年齢を重ねてやっと、私には、気づいた思いだ。
例えば、30歳過ぎくらいから、絵は目で見るものなのだから、どう見る人に見え方調整してあげることが、まず大事だと気付きました。

そして、40代半ばから、50代にかけてやっと心を開放する言葉の意味が分かり始めましたそれは、私の心への問いかけといってもいいもので言葉でわかりやすく言うと、まわりをというか優しく認めて、あげる思いが生まれる思いで、本当に自然、自然と到達した思いだ。

そして、それらを支える大切なおもいは、人は人それぞれにどんな大変な思いをして、懸命に生きているかを肯定し自分の心を見つめ絶えず反省する思いだ。

​
私は、先輩の方から聞いた言葉だけれど、私はあなたであり、あなたは私なのだという言葉を、今思い出している。


田港 啓広
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