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私は、祖父母の事を思い出す。
それは、私が小学校5年生の時、母が事情があって親戚を頼って神奈川県へ行ったからだ。 私は、おばあちゃん子だったので、祖母が火の神に手を合わせる姿を見て育った。でも、残念な事に私が、中学2年生の時に祖母は、末期の胃がんだと分かった。私は、外科医を志そうかと悩んだのですが、医者では100%人を守れないと思いました。 しかし、画家なら絵に仏や神が宿れば、人を守れると思いました。 小学生の頃の私は、どちらかというと身の回りのことは、自分できちんとやらなければいけないという道徳観念は、ちゃんと持っていました。 少年野球では、ピッチャーをやったり、運動もできる方でしたが、自分の回りの友達を見てみると、私の考えなのですが、人は過去をどう生きたかで、人生が決定することに、気づいていないようで、どんどん人を思いやる生き方に考え方が、傾いていきました。 もう少し自分に、優しい態度を持てればよかったのですが、友人をかばおうとまるで自分が、悪者のように、神奈川県の母の住んでいるところの、中学校に中学校2年生の時、転校しました。神奈川県にいる母の、ところへ行くことを父に勧められたのです。兄さんの、話では祖母は、15分おきに痛み止めの、注射を受けていたそうです。 私は、正直言って中学校の勉強なんて、どうでもよかったです。 祖父母のそばにいたかったです。 神奈川県の中学校を卒業して、担任の先生に陶芸家の先生を、紹介していただき少しお世話になりました。高校の方は、最初神奈川県の定時制に、入学して通信制へ編入して卒業しました。 昼間は、アルバイトをやったりして電車代や、昼食代やお小遣いとしていました。私は、相変わらず画家へのみちをあきらめきれず、東京の上野の国立西洋美術館には、よく出かけました。 御覧の通りで、学問的な勉強より自分の思いやインスピレーションや感性のみを頼りに、人を守る絵、人を守る絵とそればかり考える日々でした。 沖縄の人でしたら、この人は、生まれ高いとか、沖縄からはあまり離れて暮らさない方がいい方が、いらっしゃるのをお聞きになられたことが、あると思いますが私は、まるで神様に追われるように、21歳のころ沖縄に帰ってきました。その頃は、もう思ったことが目の前で現象として現れ、私の心をとらえて離しませんでした。 私は、これだけ自分の思ったことが、重なるなら飛び込んでみようと、回りの現象にどんどん流されました。 すると、残念なことに現実を見失うんですよね。 心が、自分をだんだんと高く評価してしまうのですよね。 何故、思ったことが重なるかわからないから、当たり前の事ですよね。 私は、手旗信号をするだけで、芸能人の方と連絡できると錯覚しました。 一番がっかりさせられるのは、この世の中が平和でテレビに出演する方と、結婚することが約束されていると、信じ込んでしまうほど、世の中が平和だと信じて疑わなかったことです。 私は、このような症状を何度か繰り返しました。30代からは、父や母の介護をして20年あまり続けました。 絵は、私にとって生きがいです。 そして、私がどれだけ大切に守られてきたかを考えずには、いられない。 確かに、20代は何度も私は、スタートラインを振り払われました。しかし、冷静に考えれば、多くの人と環境の思いが一つになって、時が流れている場合がある。 もちろん、それが学問的には、どういう意味なのか分からない。 大人は、仕事場では同じ心をもって、本当にたかがそれだけの事と思われることに、命がけで生きていると思い知らされる。だから、人の意を迎えることを考えさせられる。 まさに、私が、学んだ絵を描くときの姿勢だ。だから、私は思うのだが、若いときはいろいろ考えすぎる傾向が、あるように思う。私の場合だが、一歩とびの欲は持たない傾いている。 今、現時点で私は、何も描いていないキャンバスに、二筆、三筆と色を置いただけの影響を敏感に感じ取り絵の完成を思っている。 それは、会員のみなさんも、ご存じの通り色は、単独では存在しないからです。 画面に、本当に問い求める思いが、強いと自然と形が、私の場合姿をキャンバスに表してくれる。 何度も話しますが、絵は、私の場合枚数を一枚でも多く描かないと、いい作品は出来上がらなかった。 あと、もう一つは、心を開放することだった。 これも、年齢を重ねてやっと、私には、気づいた思いだ。 例えば、30歳過ぎくらいから、絵は目で見るものなのだから、どう見る人に見え方調整してあげることが、まず大事だと気付きました。 そして、40代半ばから、50代にかけてやっと心を開放する言葉の意味が分かり始めましたそれは、私の心への問いかけといってもいいもので言葉でわかりやすく言うと、まわりをというか優しく認めて、あげる思いが生まれる思いで、本当に自然、自然と到達した思いだ。 そして、それらを支える大切なおもいは、人は人それぞれにどんな大変な思いをして、懸命に生きているかを肯定し自分の心を見つめ絶えず反省する思いだ。 私は、先輩の方から聞いた言葉だけれど、私はあなたであり、あなたは私なのだという言葉を、今思い出している。 田港 啓広
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こんにちは。
ドアレスアーティストの佐井虎之助丸です。 2025年5月10日。僕は絵を描き始めました。 2025年8月1日にドアレスアートオキナワにアーティスト登録をした日が、僕がアーティストとしての本格的な第一歩を踏み出した、人生の大きな転換点となりました。 当時38歳という、少し遅咲きのデビューです。 それまでの僕は、自分が絵を描き販売する側になるとは全く想像もしていませんでした。むしろ、アートを鑑賞し購入する側でした。 きっかけは、あるアーティストの方に自作の絵を褒めていただいたことです。その言葉に調子に乗って楽しくなって、絵を描き、それを知人が購入してくれたことです。 今では絵を描くことが生きがいになりつつあります。 僕にはアスペルガー症候群という障害があります。これはなくなったわけではなく、今も僕という人間に厳然として存在する障害です。 かつては13歳で発症した精神疾患と共に、20年以上の長い治療期間を過ごしました。20代には閉鎖病棟への保護入院も経験しました。2019年に疾患がようやく「寛解」し、翌年には最愛のパートナーとの死別という大きな喪失も経験しましたが、それらの苦難の時間を経て辿り着いたのが、今の穏やかな創作の日々でした。 現在は通院も不要になり、障害者雇用で短時間労働の会社員をしながら、アーティスト活動をしています。 僕の創作を支えるのは、三つの原則です。 1. 楽しむこと(喜びと感謝) 2. 競わないこと(相互尊重と独自性) 3. 自分のペースでやること(自己導律と継続) 今の自分で、どう今日を楽しませるか。誰かと比べるのではなく、自分の歩幅で色彩を重ねていくプロセスそのものが、僕に何物にも代えがたい「癒し」を与えてくれます。 今の僕が描く「ステンドグラス風のモザイクポップアート」は、僕がこれまでの経験を経て辿り着いた、世界の捉え方そのものです。 作風は変化していくかもしれませんが、僕の表現が誰かの心に届くきっかけになれば嬉しいです。 間を楽しんでください。
アートとあなたの間を。 アートを観て、出てきた感情や考えを膨らませて、間を埋め尽くしてみてください。 嬉しい、悲しい、怒り、もどかしい、さっぱり、しっとり、ぐちゃぐちゃ、キラキラなど、 いろんな気持ちを織り交ぜてあなたの前にあるアートと会話することで、 あなただけのアートに生まれ変わります。 そんな間を楽しむことで、日常に彩りが加わり、非日常へ誘うでしょう。 マイマイ 生まれ変わった私
私は2年前絵画教室で絵を描いて居ました。あの時起きた脳出血は突然の事でした。 仲間達の救急車の手配が早かった事と、病院が近く処置が早かった事で命が助かりました。 一週間ほど死の淵を歩いて居ました。 やがて目を覚ました私に医者の下した病名が高次脳機能障害でした。 私は直ぐに絵画教室に戻らないと思い叫んで居ました。 失語症 右半身麻痺の事もその時に気が付きました。生まれ変わって感謝の心で進む事にしました。 オーロラ清子が誕生しました。まだヨチヨチ2歳です。 オーロラ清子 私は、あるラジオ番組の絵のコーナーに投稿した事がキッカケで絵を描き始めました。
それまでは、絵を描くのはかなり苦手でした。 でも、続けることで楽しさを知り一画一画に想いを込めて描くことをコンセプトに絵をみてくれた人が、 気持ちが明るくなったと言って貰えると作者として嬉しいので、 これからも無理しない程度にがんばります。 山川勇 |
Authorドアレスアーティスト ArchivesCategories |
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